スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
✡✡✡プラスインフォメーション✡✡✡

お気に入りの競馬記者は見つかりましたか?次はその記者の予想を競馬予想サイトで探してみては?
第3者機関による競馬予想サイトの評価とコンテンツ紹介

サイトによっては無料で予想を提供しているところもあります。
ライトに競馬を楽しむのには十分練られた予想をいかがでしょうか?

志村けん|冠名アイーンで頑張ります。

意外と馬主

Q:有名人の馬主?
A:馬主は一定条件を満たすとなれるため、有名人でも馬主となっている場合が結構ある。テレビ等ではそういった事実は公表されない(個人情報に当たる?)のでなかなか知られないという一面がありますが、結構な人物が馬主として登録しているようです。中には本気で競馬している方もいるんだそうです…。馬券購入額が2000万円と噂されている大物演歌歌手も。。。競馬の魅力ってやつなんでしょうか。
Q:有名人馬主
A:北島三郎さん、北山たけしさん、前川清さん、鳥羽一郎さん、和田アキ子さん、大橋巨泉さん、伊藤英明さん、秋元康氏さんとなんとも大物有名人ばかりが出てきます。イメージもピッタリで、馬券握り締めている姿がよく似合う面々になっています。。。もちろん片手にはビールでしょうか・・?なんともそれらしい人ばかり出会うが、上記の大物演歌歌手はもちろんキタサンこ北島三郎さんですが、馬券に2000万って…豪快すぎて何も言えませんね。
それで、今回はちょっと生き抜き、有名人ノ型を紹介したいと思います。
アイーンベル
アイーンベル。名前からして誰が馬主だかわかる馬ですね。。。

志村 けん

Q:今回のハイライト馬主
大川 慶次郎 A:志村 けん。今回は有名すぎるほど有名なこの方。ドリフターズの志村けん氏ですね。テレビじゃほとんど競馬に関する情報はされないので彼が馬主をしているなんてはじめは意外でしたが、調べてみると結構競馬好きな性格のようです。ちょっとした(?)事件を起こすくらいのレベルで好きなようですwその時の事件で起訴されてしまっていたらアイーンの冠名の付いた競走馬を見ることは出来なかったでしょう。。。運命っていうのはなかなか面白いのかも知れません。
プロフィール >>http://goo.gl/BmPS(ウィキペディア)
オフィシャルブログ >>http://profile.ameba.jp/shimura--ken/
(アメーバブログ)
よく見たらもう還暦越してるんですね・・・結構な時間が流れた感がありますね。でもこれだけ有名なら馬主になっててもおかしくないのはわかりますが、なかなか公表されていなかったり知られている事実でもなかったりするのは競馬に対する興味がなかったりするからなんでしょうか…所有の馬の方を見てみますと、血統はまぁまぁいい馬だったりするんですよね、サンデーサイレンスの血統が押さえてありますし。。。しかしいかんせん名前のテキトーさ加減がすごいですね…wアインイチバンとかトノノオナリーとかw
最近ではオサキニシツレイという馬が頑張っているようです。着順も徐々に上げてレースに慣れてきている様子なのでちょっと今後のレースをチェックしておきたいところの馬です。
Q:著書は?
A:変なおじさん(日経BP社)
変なおじさんリタ~ンズ(日経BP社)
志村流 金・ビジネス・人生成功の哲学(マガジンハウス)
エッセイ的な要素の著書があります。波乱万丈な人生を生きてきたということで、馬と言うより人生の参考になる内容になっていそうです。
志村けん関係の製品も多岐に渡っていまして、ファミコンからパチスロまで、世代を超えた認知度がどれだけ高いかというのがよくわかります。
Q:経歴は?
A:今回はウィキペディアから引用しました↓
志村 けん
引用;
志村 けん
1950年、志村憲司・和子の三男として東京都北多摩郡東村山町(現在の東村山市)に生まれ、厳格な家庭に育つ。本名の「康徳」は、父親が徳川家康を崇敬していたことにちなみ、頭の「徳」と尻の「康」をとり、逆さにした。芸名の「けん」は、父親の名前「憲司」に由来する。
幼い頃、厳格な父親の支配する家庭はいつも重苦しい雰囲気に包まれていたが、当時まだ珍しかったテレビのお笑い番組で漫才や落語を見ていた時だけは、嫌な気持ちを忘れることができた。その時だけは、厳格な父親も笑いをこらえながらテレビを見ていたという。そのような体験から、お笑い芸人の世界に憧れを抱くようになった。 小学校時代、運動会で脱糞したことがあったという。東村山第二中学校時代は文化祭でよくコントをしていたといい、所ジョージ(隣市・埼玉県所沢市出身)の遠戚とバンドを組んだこともあった。中学の頃から、将来はお笑いで仕事をやっていくことを決心したという。東京都立久留米高等学校に進学する。
1968年、卒業間際にザ・ドリフターズの付き人になった。この際、リーダーのいかりや長介が志村を強引に東北地方巡業へ付き合わせたため、出席日数が足りなくなり中退の扱いにされてしまったと言われる。2007年3月のブログでは、高校3年当時2月に付き人になり、3月の卒業式には参加したことを述べている。
初めは由利徹の弟子になろうとした。ついでコント55号かドリフのどちらに弟子入りするか迷ったが、音楽性の面からドリフを選び、1968年の2月にいかりやの家へ直接押しかけ、雪の降る中を夜中にいかりや本人が帰って来るまで12時間ほど待ち続けた。1週間後にいかりやから弟子入りを認められ、ドリフの付き人となる。当時のドリフは積極的に音楽活動を行っていたため、仲間内では「付き人」ではなく「バンドボーイ」(通称ボーヤ)と呼ばれていた。
加藤茶の付き人となるが、1年余りで一度脱走し、バーテンダーなどのアルバイトをしたりしていた。この時はいかりやの家に行き「1年間だけ時間をください。1年経ったら戻ってきます」と言ったが、当時夫婦喧嘩の最中だったいかりやからは「うるせぇこの野郎!」と無視された、と述べている。戻ってくる時はいかりやの家に行きにくかったので、加藤の家に行って頼み、いかりやへ口添えしてもらったところ、「2度も弟子入りするつはよくよく好きなんだろう」と、出戻りを認めてくれた。その後、しばらく加藤の付き人兼加藤家居候となる。志村は運転免許を持っていないため、無名の付き人だったにもかかわらず、時国民的人気者の加藤が運転する車の助手席にふんぞりかえったまま、帰宅。加藤を差し置いて母親に晩御飯を用意してもらったり、先に風呂に入ったりという大物ぶりを発揮していた。
1973年12月、見習いとしてドリフのメンバーに加入する。
1974年、荒井注が脱退し、正式にドリフのメンバーとなる。
この時、いかりやは自分や荒井と同年代の新メンバーの加入を検討していたが、加藤の推薦により若手の志村が起用された。当時、志村は24歳だった。
所有馬
本名:志村康徳 で馬主登録していまして、現役で活躍する馬を所有しています。
(現在は移籍した馬もいるようです)
  • ハルカナミチ
  • アイーンベル
  • アインイチバン
  • アインジェイド
  • トノノオナリー
  • オサキニシツレイ

等々。97年から初出走をしている様子で、馬主になってもう14年なんですね。「シムケン予想」とか出したら結構売れそうですけどね。ただ、所有馬の勝てなさ加減がすごいらしいですね。馬主は難しいものなんでしょう…
競走実績
所有馬の最新成績です。現在、所有馬で現役は1頭、オサキニシツレイです。
2011/11/12 東京2R 2歳未勝利 12番人気 4 オサキニシツレイ 杉原誠人
おまけ↓往年の競馬コント
自身の過去を笑い飛ばすようなコントですが、こういった事まで笑いに変えてしまえる才覚というのがすごいですね。所有馬が勝てるまで頑張って欲しいものですw
関連記事
スポンサーサイト
✡✡✡プラスインフォメーション✡✡✡

お気に入りの競馬記者は見つかりましたか?次はその記者の予想を競馬予想サイトで探してみては?
第3者機関による競馬予想サイトの評価とコンテンツ紹介

サイトによっては無料で予想を提供しているところもあります。
ライトに競馬を楽しむのには十分練られた予想をいかがでしょうか?

コメント

Re:アイーンさん

競馬は賭ける側にとっても走らせる側にとっても難しいスポーツなんですよね。競馬記者という立場は競馬とファンをつなぐ大事な役割であり、間接的に馬の未来を担っていると思います。

地位や資産で競馬は勝てない良い例ですね。
もし八百長があるのならば、JRAとしては志村けんの馬を勝たせて知名度を上げたいところでしょうしね。。。
八百長が全く無いことを示している、厳しい現実ってやつですね・・・

No title

アイーンベルから応援しています。
志村馬w頑張って欲しいですよねwwww

しかし、馬主になってたと初めて聞いたときは
ついに資産運用か!?なんて思いましたが
現実そう甘くはないのですね。

芸能界の大物といえど競馬までは上手く行かなない、
そう感じさせられましたw

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。